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臨時投稿:原点回帰

JPTにログインできなかったときに何がもとで子供のする怒りとか、
それこそ悪鬼にとらわれるのか-

プテが日本に市場展開を決意し、テストプログラムをCDにて提供し、Βテストを開始(今風に言えば実際それはプロモーションレベルだったのかもしれないが)した頃の経緯や事情は、もう調べがつかないので、詳しく知ることは出来ないが、運営(開発)にとっても、日本国内の有志らにとっても、苦しくもあり楽しくもあったと想像する。

なぜならそれは、初めの体験だったからにほかならないからだ。

ゆえに、そのころには、ログインできないからと言って、
子供が駄々をこねたように掲示板などでパフォーマンスすることはなかったし、
もともとそのような場は与えられていなかった。

そう、与えられていなかった(←ここポイントね)

与えられていなかった?

はじめから、それは、与える側からすれば、与えるべきではない絶対に!
・・・と、拒んだのであると想像する。

なぜなら、設計として、そんなべたでカオスな場って、ネイバーとかで十分ジャンw とか?・・・あーって!それ自虐でしょあんた!(そのころのネイバーのコミュニティー掲示板は、活気があったのかなかったのかどっちかわからなかったけど、あまり有用なものとはいえなかったと感想回帰、ネイバー自体とっくに閉鎖されているんだけどね)

・・・と、このように、結論としては、初めのころも、だいたい今日のような、正面(表面)のクールさとは裏腹に、やるせない思いをぶつけることのできる、仮想のお兄さんの厚い胸を追い求めてやまないのであった???

(うーん相変わらずわかりにくいw)
(だいいち、タイトルの原点回帰って、OO見ていて思い立ったんだべさ、少しはそれに沿ったまとめ方をしろよ自分ww)
(いや、ログインできない不安だか不満とか、とにかく他にぶつけたって、うちの場合は∞のパワーを温存し続けることによる無言の圧力を半ば企図するものであって、投稿記事中でも切れたりしようものなら、それこそすべてを捨てるほどのことにもなりかねないわけであり・・・ってね、あれ?だれと話しているんだったっけ?)

・・・とまあ、こんな具合に、ブログの場合は、自分自身(またはもう一人の自分のようなもの)を自分を観る鏡にすることで、何とか平静を保っていられるのだけれどね、この辺のコントロールのやりようは、個人差があるし、逆に、コントロールをあえて放棄すると言う手段もありうるわけです。

感情のあることってのは、だから、とても興味深いね。


・・
にしてもひだまりスケッチのオープニングって、簡潔にしてくどくなく、小等身がほのぼのとしたお饅頭キャラで、癒される。
(本編は止め絵が多いので、ちょっと欲求不満になるんだけどね。でもフィルターマルチであててる効果は、原点だけど、とてもよくあっていると思った。OOはやはり展開が収まりきっていないような濃い内容な感じがするので、やはりあとでまとめて観るのが吉かなあ・・・)
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by cicadas | 2008-06-21 00:26 | 感情論(徒然に

終わらない物語

(当初「蝉の羽音」にアップしようと書き始めたが、広くなったのでカテゴリー変更)

「ネバーエンディングストーリー」というファンタジーがある。
映画にもなった、ひょうきんな顔したファルコン(白毛の竜)が記憶に残る。

少年セバスチャンが貸し本屋さんから手に入れた不思議な本のタイトルであり、導入部で、その表紙を見た彼は、ちょこっと首をかしげたりする。

やがて彼は、その本の不思議な魔法の力と、彼自身の持つ想像力との相互作用によって、その物語の中へ入っていく。

ただ、その本の中の世界には仕掛けがあって、読む人たち(確か年齢制限はなかったと思う)が「想像すること」をやめてしまうと、「無」がその世界を食(くら)って、しまいには何もなくなってしまう(滅びる)といい、その作品における本質は、読者(この場合作品に触れる私たちだけでなく、セバスチャンや、その本を読んで世界に入った人々を含む)に直球で語りかけている。

ただしそれは、受け手の持つ個性により若干色がことなってくるから、普遍的な性質ではないのかもしれない。

中学校の社会科の先生が「ロックは卒業した」と生徒たちの前で言ったらしい。
その時、「ああ、それはさびしいことをしたね」と、生徒たちは気の毒な顔をしていたらしい。

しかしながら、当のロッカーの中には、「60歳を過ぎてもロッカーだし、きっとたぶん80を過ぎても100歳になってもロッカー」という人もいる。

ロックに普遍性などありはしない、いや、何もロックだけじゃない、
世界中のどこを探しても、普遍的なものなどありゃしない。

だからこそ、虚無をもたらさないように、ひろげないために、
挑んで、望んで、倒れてもまた起き上がる。

時には長く休んだりして、挫折も味わって、

勝って、負けて、引き分けて、
有頂天になったり、傷ついて沈んだりする。

色々なことをして、色々なことになって、
そうする中でやっぱいつまでも持っていたい、なくしたりなんかしない。

そして最後がどんな形になっても、
「めぐり合えてよかった、ありがとう。」と、

なんとなくうれしいことで、ニヤニヤして、
ニコニコ顔でその先に進みたいものだね。
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by cicadas | 2008-05-01 04:10 | 感情論(徒然に

この期に及んで前フリなどございませんので、ご安心ください。
ただし、記述はことごとく感覚的に散り散りにしてありますので、
ついて行けないことがままあかもしれませんのであしからず。




副題:個の傍らに常にいて我を見つめるもの


父母がいて子は生まれ育ってゆく。





「時は紡ぐもの」
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by cicadas | 2008-01-11 22:28 | 感情論(徒然に

運営終了が公表されて、ゲームにログインするユーザーの数が激減している。

でもそれは、一ユーザーとしてそのように捉えただけであって、実際の前後関係について把握しているわけじゃないんだ。

営利でやっている方のことを考えてやれば、それに関する背景や経緯などをもいちいちとくとくとくとくとくとくと詳細にわたって広く世に知らせるようなことはないのだし・・・(そんなことする馬鹿はおそらくこの世にはいません)

そもそもそれだって、たとえばあるユーザーが家庭の事情で引退(以降そのゲームに参加しないこと)するのと似たり寄ったりなものなのだろうと(少なくとも私は)思っている。

従って、この期に及んで、この事態について、さも一層深刻で、重大で、たいへんとか、しょうがない、しゃーないっしょやーとか、なんだかなー、どんだけー!とか、あれこれ野放図な印象付けは、しないように心がけるのが、たぶん、公共の場(たとえば公式HPの総合掲示板。ブログだって、意思表明の機能としては、そこよりずっと広い。)における、望ましいとされるんだろうなポリシーみたいな??

確かに、個々の人(ひと)が何を考え、何を発言し公表するかは、公序良俗に反しない限り、(つまりそれらに関する規約やルールーに従ってこれを続ける限り)
・・・自由
なんだけどね、実はこの「自由」ってーのは結構面倒くさかったりする。

内訳を要約して言ってしまうと、それは「自分自身に対する説明責任と、それを管理する能力と、その自己の運営を維持するための一定以上の、達観、計算能力の一面と、好奇心や気まぐれ、感情(これはちょっと一般的過ぎる単語だね)、想像力・・・

翻って、あまり深く考えすぎないこと、直感をある程度のところまで信じること、萌え(おおー!いきなりそうくるかw)、オタク的な邪気、技術的な要素に対する興味(チョッとはあったほうが便利)、ETC...(エトセトラーエトセトラ―・・・)」

それらの部分部分をすべて必要と言うことではないし、なくったっていい。
一人一人たぶん足りないなと思うものを皆で持ち寄って補完しあっていくのもいいし、ふと気がつけば、そんなこんなをくどくど列挙しなくたって、知らず知らずのうちにそのようなことをしているっちゅうの・・・みたいな。


なので、私たち僕たちは皆、決して、無力ではないんだよ。

(ここ、チョッと釈然としないなと、考えること数分)

・・・あ!

感情、気力と言うことで、「無気力」というので思考を置き直してみたら、「運営が終了するとき」って「気力水のドロップが尽きたとき」と等価だったりする!

プテってばその点、絶妙に、実にうまい仕様になっていたということになるのかな。
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by cicadas | 2007-12-15 01:07 | 感情論(徒然に

この回によって、この連載の方向性がガラット変わってしまった。
けど、それもまた、プテに重なっているように思えて、悲しいやら嬉しいやら、
どっちつかづかどっちもか・・・ええーい!どっちかにしろよ!
考えるのもチョッと制御が必要みたいで、いささか壊れ気味です。

ゲームとは何か?、について考えるゲームみたいな思考錯誤(誤変換じゃないんだからねっ!)
後編:「終了とは終了しないことではない」

うーん・・・
終わっている。終わった。終了だ。エンド。
大団円。あーっ!もうやめやめ!
・・・クレジットロール。完。打ち上げ。
なきこと、ないこと、ないもの、無、空、初期状態、工場出荷状態。
・・・あれれ?なんか振り出しに戻ることに、いつのまにか変化しているぞ?
ひょっとして・・・
再開?
うはwwwwありえなさ過ぎwwww

ということの内訳あれこれのはなし。

★プテ家族★
子「終わったらどうなるの?」
親「データ―が破棄されるか、保存されるかにより、その先は分かれる。」
子「どっち?」
親「わからない。運営に問い合わせてみようか?」
子「・・・」
親「・・・やめておこう、そのほうが白けないしね。」
子「・・・テレビマガジン買ってきてよね。」
親「・・・(来年からお年玉は図書カードにしよっかなー)」
この子にしてこの親あり。
彼らは供にこの数年間、お小遣いの大半をWebマネー購入に費やした。
この冬は、熱いと、信じつつも、心のどこかが寒いと感じているふたりであった。
(このシチュエーションはフィクションです!!!)


・・
無理もない。
始まった瞬間は、1ともうひとつの1くらいの要素しか持ち合わせず、「1+1=2」がせいいっぱあい。

化学の一般則では「1+1=2ともうひとつ」、サイバーパンクでは「1+1=2ではないけどそれ以上の何かか、最悪には1だったり0だったり」と、ちょっと発想を、隣は何をするものぞ的に、きょろきょろしてみて、少しばかり模倣しようとするくらいに、短時間でも変えてみるとか、方法はいくらでも考えられたし、それを試せる環境が整っていたはずなのに。

期待していることが何かあったとして、「なんでもあり」なら、たとえば生活と重ね合わせることができるし、生活の一部にだってできる。

この親子の場合、(この会話だけでは情報不足だが)日常のゲームを、たぶん時間帯などを厳密に定めて、それに従って行っているのだろう。それゆえ、長く続けていられたんだろうね。

ただし、それだけでは、たぶんそれ以上何も変わりはしないし、何も生まれないし、終わりの先の始まりを描くことは、容易な作業ではない。そもそも、何も期待していなかったよーん、ってーこともありと言えばありなのかもしれないんだし・・・

すなわち、かように、断たれれば断たれるで、それはいったんそれを受け入れるしかないのが一般的(?)なユーザー・・・だろうか。

マリオブラザーズを知らない人はたぶんいない。

何年たっても、ハードウェアとソフトウェアを維持すれば、たとえ長いブランクがあったとしても、いつでもやり直せる。なぜならそれは、物理的なパッケージで、ソフトウェアが保護されているからだ。

MMORPGのばやい、データ―を保存する媒体がユーザーにあったとしても、運営上のデータ―ベースの保守と更新、それに保管、プログラムのメンテナンスなどは、統一的、集中的に管理され、実施される。
それゆえ、運営自体が打ち切り、終了となれば、当該運営(俗にこれをシステムと言えばよいかな)を引き継ぐほかには、データ―ベースを維持してゆくことは不可能に近い。
ってか、取引になっちゃうことまで考えると、かなり無理。

運営終了⇒再開となるには、相当の(途方もない、莫大な意味を含む)力量が必要になる。

力量=説明を短くかたづけるなら、それは資本と資産だといいます。
1円でも起業が可能です。
ただしこれには目前に極めて難しい壁が高くおったてられています。
(興味のある人がもしいたら、詳しくは調べてみてね。)

力量とは、おおよそ以下のようなことを無理やり切り回せることを言います。そしてその壁は、想像するに、成層圏突破してるくらい高いかなと。(いや、必ずしも無理やりってことはないのかもしれないのだけど、プテを例にしている以上ハードルはめっちゃ高いと言う意味を込めたいので)

☆仮定から(あくまで仮定だが、仮定だから、ありえないことなんだが)

もし運営を引き継ごうとした場合、当面継続できるのは日本向けに設計された2010年1月1日くらいまで。
それ以上は、新規に契約し直さなければなるまい。
そこまで行くと、たちまち大きな負債を抱えることとなる。
これを経営にフィードバックさせると、彼ら(経営者)は成果を見込むことすらできないだろう。
今から事をはじめようとする場合、しかも他社のリスクを受ける場合、新規に契約するよりずっと多くのコストがかかる。

契約にこぎつけるまでには、相当時間の交渉と調整が必要だ。設計(開発もと)としても、その先まではやりたくないと考えるだろう。プテ2があるし、あちら側のメリットはと言うと・・・
メリット、考えられる?投資でよく言われるところの「リターン」・・・

もっと具体的に言おうか?

YOがどう考えるか、戦略上(あくまで戦略上)、売上に貢献しないものは切って捨てるのが普通。それより新しいもの、もっと時代の流れに即した、今までとは少しでも形の違うもの、なおかつ快適なもの、要するに「売れそうなもの」、最初から妥協を許したくないつもりなら「売れるもの」・・・を作る。

ならばどうしても、既存の路線は、その戦略に入っていく時の足かせになる・・・

もう気づいたでしょう、経営や、運営も、ゲームみたいなものだってことに。
クールで、シビア、実態があって、法律に厳格に従わないといけない、やり直しができない、社会に貢献しなければならない、翌年には一定以上の成果を報告せねばならないし、その成果を次の年につなげれるようにしておかなければならない、役員会議を開かなければならない、ことによるとその会議で社長が解任させられるなんてこともありうる、なんてエキサイティングで、バラエティーに富んで、それに嵌ったら、もうやめられない。君、こっちのほうが断然面白いよwww
(まあ落ち着け、とにかく落ち着け俺。今はそこここの話をしているわけではないんだからねっ!)

信じられないかもしれないが、
ここまでが後編の前振り(にしても、これはいくらなんでも長すぎね?)(はい・・・)

終了とは終了しないことではない
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by cicadas | 2007-12-09 13:48 | 感情論(徒然に


ゲームとは何か?、について考えるゲームみたいな思考錯誤(造語)
前編:「許すも許さないもない」

この時期を狙っているわけではないのだけれど、今回のお題と、アメーバがえさを食う様のごとくマッチしているので、その線からの書き出しとなります。

ところで、「えさ」で思い出しましたが、総合掲示板などで、公式HPオープン時には可能だったクリップ&ペーストをできない仕組みに変更したり、一行掲示板が廃止されたのは、もしかしてもしていなくても、たとえば、お知らせなどに対するリアクションとして、「そんな餌で釣られクマーAA」とかを氾濫させないための事前浄化だったのでは?とか・・・

・・
「ああーっ!プテ終了までまだ1ヶ月もあると言うのにこの客の引き加減は!!もしかしてもしかして、別のゲームやらのおいしそうな餌に釣られたからなんじゃないの??」・・・とか。

いや、物は言いようですね、ユーザーとしては、ゲームの選択くらい自由に気ままに、いくらでもやっていいんだし、仲間を誘って、あそこがいいよ、あれをいっしょにやってみないか、とかとか、キャラクターを通じて、できることは何だって試せるし、運営の利を阻害しないのであれば、そんなのは、規則違反でもなんでもない。

こうすれば楽しいに違いない、楽しければきっと、みんな楽しいに違いない。

そうして複数の手で試行錯誤を重ねて、今もそれを続けている。
実際のプレーがそうならなくても、誰もがそう思いながら(思わなくたって、せめて断片的にでもそう感じることがあるとか)楽しもうと、そうすれば、きっと楽しい・・・の無限ループ。

まれに楽しくないことがあっても、忘れたことにしたり、他に楽しいことを見出したり、それはそれとして・・・と、いちおう棚に置いといて先に進んだり、そうして、また楽しもうと、ログインする。
A:君は何のためにこのゲームをするの?
P:何でそんなこと聞くんだよw
そんな会話があったとしても、それだって「すごく楽しい」ことなんだと思うし、内容がどうであれ、だいたいそれと似たり寄ったりなことをいくつも積み重ねて、これまでやってきたし・・・

そうしてこそ、今、この「今」があるんじゃないのかな。

(前振りここまで)

「許すも許さないもない」
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by cicadas | 2007-12-08 23:44 | 感情論(徒然に

「ピュア」の印象は―
清く明るくたくましく、ハキハキ、サクサク、キビキビ、スイスイと、停滞したりつまづいたりすることなく、スムーズに、クリアーに、バランスよく、ビシッ!バシッ!!と、フィニッシュが決まる、
甲高い萌え系キャラの中の人が「○っ○○○にーしてやんにょー!!」と歌い叫ぶみたいな、
(いや、それはチョッとちがう気がするぞ)
・・・そんなところ
(いいや!最後のは絶対にノリだけで付けただけなんだろうそうだろう!!)
・・・ってあんた誰?。


・・
ここで言う「環境」とは、なにもパソコンの性能とか、プレーヤーの腕前とかみたいなことではないし、かといって、ゲーム上で繰り広げられるパフォーマンスをさしているものでもない。

今風によく使われる言葉では、モチベーションに近いかもしれない。

また、より広いネットワークというカテゴリでは、ネチケットの一部でもあるが、ネチケットそのもののことではない。
断じて、ない。

では何か・・・

それを正確に説明するにはかなり骨の折れることだと、少なくとも自分は思っているし、説明したところでそれが正しいとか、一定だとか、パターンだとかではなく、まったくなく、要するに、不定形の色が濃い

・・・だいたいそのようなことを、これから書きます。

なので、お見苦しい点がところどころにありましたら、
それは、どうか、

・・・適当に流して下さい。

正体不明な感情の虫
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by cicadas | 2007-11-29 22:16 | 感情論(徒然に

副題(サブタイトルとも言うか):「よかった探し」というゲーム

「よかった探し」とは、今はもう懐かしくて涙が出ちゃうずーっと何年も前、毎週日曜の夜7時半に放映されていたカルピスアニメ劇場の「ポリアンナ物語」で、主人公の少女ポリアンナが日常の習慣付けている(てか、ありゃもう癖といってもいいね)ゲームです。

たとえば・・・

エイジングで結構レベルの高い、しかもレアなアイテムを消失したとします。その場合、高額なゲームマネーも同時に失うことになりますね。
その瞬間、たいていの人は、

     ....orz

といった心境になるわけでしょうが、ポリアンナの場合、すぐ立ち直っちゃうんですよ。
「ああ、よかった、これでまたがんばって新しいアイテムをGetすべく、続けれる、また楽しいゲームをする時間が増えるんだわ。」とか何とか言うんでしょうね。

(書いていて、「なんてすごい少女だったんだろう・・・」と、いまさらながら驚きますが)

興味深いのは、彼女の場合、人生というゲームの中に、ひとつのゲームを入れ子にして、人生と、よかった探しのどっちも同時に楽しんでいることです。

この構図は、プテ中の狩り以外のエイジングやミクスチャー、その他プチイベント的な、ゲームの基本要素以外が用意されていて、それらにはたらきかける事で、ゲームプレイに深みを持たせるといいますか、楽しめることを保っているといいますか、だいたいそのようなことと似ていると思います。

プテや他のほとんどのMMORPGらは、サービスが続けられるまでの間、たいていゲームオーバーがない仕組みになっていますが、そのせいかどうかわかりませんが、「ゲーム生活」(ゲーム内のキャラクターがさも人生を歩んでいるかのような感覚で、ゲーム内の日常を過ごすみたいなこと?)なんてーのが、長く続けていると、自然と気分としてふと浮き上がって来ることがあります。

もうそうなると、単なるゲームではなくなりますね。

して、しまいにはこれらを総括して、いずれそのうちに、
「ああ、こんなに楽しめた、よかったよかった。」と、大往生を迎え・・・・れたなら、なんて幸せだったのだろうあのころは、と、数年先に思い起こすことがあるのかもしれません。

そのためにも、サービスが、可能な限り長く続けていてほしいなと。

どうかひとつ、
よろしくお願いしますよ。


(後記:「あんなに」楽しめたと書くと、なんか韻を踏んでいて気持ち悪いのと、過去形にすると、引導を渡している風な印象になりそうなのが嫌なので、「こんなに」としました。)
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by cicadas | 2007-08-22 01:55 | 感情論(徒然に

情報の最小構成要素は、「1」と「0」であると言います。
人間は複雑だとよく言われます(?)が、
その行動を分析して根底の根底まで突き詰めていくと、
結局は「1」か「0」かのどちらかになります。
数学では(注)、物質が空間に存在する確立は常に(1/2)と言われます。
考えるとすごいことです。あるときは、この世界が存在しないかもしれないことになるのだから。

空想や仮想世界はどうでしょう。
信じることができればそれはもしかしたら存在するかもしれない。
いや、べつに存在しなくたっていいし。

なので、思考の内にあっては、やはりそれらも(1/2)なんでしょう、たぶん。

私事ですんまそんこってすが、天空の城らぴゅたのロードショーを観た感想が、確かそんなだったかな(結構そんな印象がずーっと強く(今も)残っていて、そんなことがあってあらゆるロードショー観賞を封印してしまったのでした。)

映画館のスクリーン(「銀幕」と言う)は、実に特殊な構造で、座席が端っこでも、ずずーっと後ろでも、一番前(好きだったなぁ)でも、あわよくば立ち席(今はそんなのないのかな)でも、人の目の「ゆがみを補正する機能」を助けれるように、布(ちょいと粗めの糸のクロス)だったり、穿孔(または半球の突起)のほどこしたものだったり、つまりそれは完全平面ではなく、必ず決して、つるつるとしていません。

テレビ画像やモニターだって、ドットだったりしてますね。
1つのドットが明滅を繰り返して、その配列で、さまざまな表現がなされます。

ビデオなど、時間当たり均等な割合で、目にもとまらぬ速さで、パッパパッパとフレームを切り替えていたりすることから、フレームの見えているのと見えていないのとで、これもまた(1/2)ですか。

ある著名な映画監督が、そのフレームと次のフレームとの間にある「もの」を表現するのが映画の役割だと、確かずっと前に何かのテレビ番組でおっしゃいましたが、最近になって少し理解できるようになったかもしれません。
つまりそれは「1」と「0」両方を「観るものの内に映す」ということなのかな(違っていたらすんまそん)

え?
ええ、もちろんこれは前置きでして、「だからなに?なんなのよそれw」とかでいいんです。これを読んで伸るか反るかは、まさに読み手しだいでどっちにもなることです。
そう。
「どっちにもなる」

それはもしかしたら、かならず「どっちかになる」と「どっちもならない」であり、「いつも表裏の関係」なのだと言います。


注記:「数学では」のところについては、正確なところをYanさんが詳しくコメントしてくださいました。ありがとうございます。

さあ、言葉遊びはこれくらいにして本論に進みます。

「心二つ」の奇妙さ
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by cicadas | 2007-08-05 23:31 | 感情論(徒然に

さて、数週間途切れたままでしたが、再開することにします。

後編:運命は風のように

PT(パーティープレイ)をすると・・・
一定の時間内で多くのモンスターをやっつけることができます。
モンスターからの攻撃が分散されるので、水薬の消費が節約できます。
多少保守的な狩をする場合やっつけられることも少なくなります。
獲得経験値ルールに従い、人数が多ければお得です。
もちろんデメリットなんかもあるんだろうけど、それは置いといて・・・
仕様のこともさることながら、PTの利点は・・・
メンバーと共同でプレイすることによって、作業的と揶揄されがちな単調な攻撃パターンからいくぶん開放される。
攻撃方法に拡張性が生まれる。
「プレー=会話」をもって、指先で戦術を学習することができる。
・・・まあ、考えるといろいろありますが、最後の「プレー=会話」というのは、メンバーの動きを見ながら何がしかの影響を受けて、しだいにそのように感じるのであって、必ずしも誰もがそのように感じるとは限らないですか。

長期的なことで言うと、育成しているキャラクターの人生(大げさかな)に影響しあうという、これはまた、クランでも十分そうなることですが、野良PTや募集PTで出会って一緒にプレーしていたりする場合は、なによりも大きく作用します。

実際Cicadas(アーチャー)を育成し始めたのは、砂漠あたりでPTをしたメンバーにいた、とても勇猛果敢に動き回るアーチャーのアクションが、とてもとても魅力的だったので、ああ、自分もあんな風に戦士っぽい狩をしてみたいなと思ったのがきっかけだったです。(そのころの自分はマジシャン)

それから、これはクランにも共通しますが、新しい発見を促す効果もあります。
岩登り壁登り、アイテムハント、育成議論(チャット)等々
・・・戦闘以外の楽しみ方というやつですね。

戦闘でもいろいろな場面があり、チャットしながらの狩、クエスト支援、連鎖でレベル差のあるメンバーと組んでみるというのも興というもの。

戦闘オプションという意味では、より難易度の高いクランボスをなんとかしてやっつけるのも、そのひとつと言えるでしょう。

異なるキャラクター、同じキャラクター同士とか組み合わせは「あたるも八系」くらいあります。
(まさしくそれが楽しさを持続するための仕組みでもあるのかな。)
そして、狩場ではPTメンバーの誰もが疾風のように、駆け巡る。

・・
・・・なんだか、この記事書いてて紹介ムービーを思い出してしまいました。

結局のところ、続く限り飽きずに遊んでいられるのは、ログインするたびに、その運命の一部みたいな何かがいつも傍らにいて、感情を支配しているからなのかもしれません。
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by cicadas | 2007-07-25 23:40 | 感情論(徒然に