<   2005年 08月 ( 18 )   > この月の画像一覧

子供の世界が輝く場所で

こんなことも起こるのかと、開いた口がふさがらない。
今日の読売オンラインにおけるこの記事(「毎日かあさん」論争、表現の自由か教育的配慮か(YOMIURI ONLINE(読売新聞))でしたが、期限切れ削除されたようです。)


を読んで、愕然とした。

だめだ、orz

新聞報道というものは、この程度のものなのだろうか。ただ、沢山読まれるだけで、興味を引くだけでいいのだろうかとさへ思った。
大切なことが記されていない。たとえば―

これに関して学校で何かが起こっているのか、起こっていないのか、まったく明確でない。単なる大人の懸念から出たのみであるのならいいのだが。
それならそれでよいかとか大した騒ぎでもないのに、記事にして「論争」だなんて煽る感覚は、どこから来ているのか、うーんなんだか子供じみてはいないかな。

記載されている状況について考えてみても、どうもしっくり行かない。
たとえば―

親の職業に干渉している学校側は、それに対して筋道を立てて、これこれこう言う事情があるので等々と説くべきなのに、その背景的な事柄すら明確でない。(もっとも、この干渉自体が学校側の犯した大きな間違いのような気がする。感じとることができるのはその点だけだ。)

それにね、私の言いたい大事なことってのはこういう事。たとえば―

大人がどうこうしようと、子供がそれについてどう思っているのか、一度でも聞いたことがあるのだろうか。ちゃんと会話しているのかな。
学校ってのは、教員のためにあるのでもなければ、親のためにあるものでもない。ましてや、平素なら報道対象の前線にたたされることは避けなければならないのに。

とにかく、正しい解釈と、理解のしかたを、ゆっくりじっくりしてくださいと言います。
大人社会の醜いエゴで神聖な領域を汚さないで下さいと言います。
(以上感想です失礼しました。)
[PR]
by cicadas | 2005-08-31 21:53 | 近況かもしれない

この題目については、特に例えや、前説は必要ない。
と言うか、題目そのものが、それを必要としていない。
それゆえ、内容も、この通り、感覚的かつ、静かなる感情によって、紡いで行くのみとする。

【星の命について】

星の一生、それは遠く、人間の尺度では全く届かない遥か遠く
星と星の間も、同じくらい遠く

君子はかつて、命を星に見立てて、その数を数えようとした
結果、一生かかってもそれは叶わなかった

そして人々は、長い歴史の中で、何人も、何度も
天を仰いでは、届かないそれらの存在を漠然とでも確実に感じていた

学問や技術が発達して、星との距離を計測できるようになってからというもの
科学者は、近くにある星から順番に、その数を数え始めた

今その数が幾つになるのか・・・
いや、今でもそれは一つ一つ増え始めている

星は一つ一つがオリジナルであり
はじめがあり、また、終りがある

つまり星には一生がある
人知を超えた長い時の流れの中で、誕生と滅亡を何度も繰り返す

まるで人間たちと同じように、命があるかのような感情を抱かせる



【人の命についてとそれから】
[PR]
by cicadas | 2005-08-29 02:13 | 感情論(徒然に

一般的に水は、与えられた条件によっては気体にもなり、固体にもなります。水の1㏄の質量は1gで、1000㏄は1リットル。電気の力で水素と酸素(気体)に分解することが出来ます。人体の半分以上を占めて、地球上の・・・ああ、あんまし憶えてないや・・・

【我賜る水薬が水】
水薬を消費する瞬間、それぞれのゲージが上昇します。

が、ただそれだけのことではないと感じているのは、もしかしたら私だけかもしれない(いや、もしかしなくてもきっとそうだ)

それぞれのゲージは生命力、体力、気力を示しますが、「初めての方のための初心者ガイド」の「Step8ゲーム画面の見方」に貼られている絵では「生命水」と書かれていることを発見しました。

それは確かルネッサンス初期からあるので、生命だけは定義が異なるんじゃないのかなって気づいたんです。つまり・・・
生命=水
(いや、もしかすると、なんか勘違いしているのかもしれない。)

(いやいや、もしかしなくても・・・)
(いやいやいや・・・F-out)

考えてみてください。水が蛇口をひねるだけでダダーっと出てきて、容器をたちまち満たすような治水の整った環境って、全世界が絶対そうではないし、むしろ少ないのかもしれない。

結局、真に最も価値あるのが生命水であって、それゆえに頻繁にドロップされるのだと。

戦闘を、はたまた攻撃を旨とするならば、
スキルが重視されるのは当たり前だし、赤は保持していて当たりまえ
とおっしゃるでしょう。現にそのように設計されていますし、そうなるべく調整されているはずですが、基本的には、気力と体力が先に無くなって、最期には生命が削られる。それが原点な筈なんです。

そうすると、薬屋さんで購入できなくならない限り(無一文になって戦闘不能な状態に陥るみたいなことが起きない限り)よほど油断しない限り、また事故がない限り、意味なく死んでしまうことはないのかもしれませんかね。
いいや、一人じゃない、
他の方から恵んでいただくこともあるでしょう。
すると、命の水を介して、互いに繋がることが出来る。
そんなことを感情を込めて演出できたら、(つまり所詮はゲームなんだけどそれはそれで)そうすることで、もしかしたら、(いや、もしかしなくても)とてもいい環境(たとえばこのような行動のきっかけになる素のことを一言で言うのならコモンセンスと言えないかな)を作っていけるかもしれません。

実際は、あたりまえのように消費しているので、なかなか意識することなんかできないのですが、難しく考えなければ、いつかどこかで、何かをきっかけに、そんな光景がぱっと開いたら、それはもしかしたら・・・(いや、もしかしなくてもってさすがにくどいか)
とても気持のいいことなのかもしれないね。


【恐怖の水音】キャァァァ!!!!(←怪談みたいな)
[PR]
by cicadas | 2005-08-25 02:39 | 感情論(徒然に

さて、早くも(?)終盤に取り掛かります。
なまじ十分な推敲もしないで巨人の星のオープニングみたいな勢いで書いているので、長くなるにつれてくどくどしてきて、しまいにはぐだぐだになりそう。

【魔法の水】
大学ラグビーだと記憶している。今はトンと見ないらしいけど・・・
軽い打撲や脱臼なんかで倒れた選手の患部に、大きなやかんに備えていた水をかける。
すると、たちまち治っちゃうみたいな、魔法の水。
いや、テレビ中継を見た限り、とにかく元気を取り戻している模様。あれはたぶん「気力水」に違いない。

生命力の補充には血の色を連想させる赤い水、体力を補うのは緑の水。
ああ、水だ水だって言ってるけど、正しくは水薬ですね。
でも、魔法の水は、薬なんかではなくて、実はただのやかんの水だと言われています。

どちらの場合もお役立ちアイテムであり、お助けアイテムなんだけど、水薬の場合は、もっと日常的、当たり前のように消費している。なので、そんなものに感情を込めて語ることに、実はあまり深い意味はなかったりするのですが・・・

【我賜る水薬が薬】
[PR]
by cicadas | 2005-08-25 02:27 | 感情論(徒然に



【空間説】

私はいつでもここから去ることが出来るし、ここに居続けることも出来る。しかし私は、前者に対する用意がないし、今のところ必要ないと思っているので、当分はその用意をしない。

後者は、ともすればこれも語弊を招きかねない。

実のところ、ログオンとログオフを毎日のように繰り返しているので、平均すれば極めて軽く存在しているということになるのかな。

これは空間だけでは叶わない話だね。

ありとあらゆるものが運動しているわけだから、何かに一種の区切りをつけたり、線を引いたり、囲ったりできるためには、空間を対象にすると、その作業を可能とする別の材料と、更に時間も必要だ。

【時間説】
[PR]
by cicadas | 2005-08-23 02:46 | 感情論(徒然に

【総説】

人類が宇宙に住むようになって、はじめて、地べたを這いずり回る拘束感から脱却できる。
ただし、そうなるためには、実はもう一つ条件がある。

地球は太陽を一年間でほぼ一周する。天体の自転も、ある時間で一回転する。
それらは自然な運動なんだけど、ものすごい速度だよね。

速度は、部分線距離と時間で計測される。
角速度は、2本の交差する部分線のそれぞれの距離と時間によって計算される。
でもその先は何だろう。思いつかない。定義する必要がないのかもしれない。

そんなこんなにして、21世紀を迎えた現代でも、人々は位置関係がただそうなっただけでは不十分なことに気づかないでいる。

無理もないよね、生まれてこのかた、今の今まで、そしてこの先当面の間は、ずっと地球の拘束された領域(地球圏とでも言おうか)を離れることは、殆ど訪れないのだから。

そして、僕らは、この有限で境界線のない領域の内、幾多の四季を通り、幾多の年を越す。
それぞれの限られた範囲で・・・

・・・いや、この言い方はずるい。
限られた範囲でというのは、結果を模して表現している。正しくは―
それぞれがやがて迎えるであろう人生の終焉・・・
その瞬間を目の当たりにするまで―
ってな具合かな。
[PR]
by cicadas | 2005-08-23 02:32 | 感情論(徒然に

感情論(B)バベルの塔

(諸説ありましょうが・・・創作のつもりで)

第1節 王の決意
神のいる天空へ向けて矢を射るために、王は人々を集めて高い塔を建てた。
矢がもし天に届いたとしたら、天候を制御することが出来るに違いない。
そうすれば、きっと日照りや洪水に悩まされている人々を助けることが出来る。

これは神に対する冒涜と捉えられるのかもしれない。
目論見が全く外れても、少なくとも神の監視を免れることはない。
だから、たとえ失敗でも、きっと提言なり、願いなりが届くはず。

何もやらないよりは、試してみる。
そうして我々は生きながらえてきた。

王は、神がどこにいるかちゃんと知っている。
(天空の向こう側だ)
それゆえに、一見無謀とも言える試練を我が身に課した。

第2節 神の執政
一方、神がこれに対処するには、感情など無用だった。
神は、かような事態に対処する明確なマニュアルを持っていた。
<中略>
かくして、バベルの塔は伝説となった。

第3節 追想と連想
史実であろうとなかろうと、これらを政治抗争になぞらえるならば、
きっと、予め定められているシナリオ通りに、
そのいい材料にされたと言える。

ところで、それからというもの、
人々は今まで数え切れないほど争いを繰り返している。

王でも神でもないのに、
あたかも己がどちらかに与しているかのような錯覚にとらわれながら。
[PR]
by cicadas | 2005-08-20 03:16 | 感情論(徒然に

2年位前に正月の毎日新聞にコラムされていたのがオムニラテラリズム
経営戦略とかそちらの分野に使われているのかなと、検索していると、なんだかもっと垣根が広いみたい。いや、もしかして勝手に私が拡大解釈をしているだけなのか??

21世紀システムと日本企業―社会的信頼がつくる新たな競争戦略
大阪市立大学商学部経済学部 / 日本経済新聞社
スコア選択: ★★★★★
これは入手はおろか、読んでもいません。が、一度でもいいから読んでみたいと思っている。検索すると目次が網羅されているページを見つけて、その中の「オムニラテラリズム」と言うのに初めて出くわして「はて、なんだろう」と、チョット興味を抱いている。

とんとかじってもいないことをネタにするのはアンフェアかもしれないが、いつかまとまった時間が空いたら勉強してみたいなとも思う。

今回の連載投稿記事は(あのーまだ完結していないんですけど)、これまで僕らが歩んできただろう「道」の、どうにも言いようのない朦朧とした部分について、何がしかの解決を試みるきっかけになればいいのかな。

私は自分の述べたことについて、特に発展させようとは、あまり思わない方だね。もともとそんな才能も力もないし、日和見主義だし、気まぐれなんだ・・・

それはそれとして、これらを目にするめいめいがその人なりに何かやってくれると、幸いです。
[PR]
by cicadas | 2005-08-19 01:09 | 感情論(徒然に

(その1)を書いているときに、いいかげん熱くなってきました。
ので、残り半分おちゃらけてみます。

灼熱地獄の地球を想像してみる。
地球温暖化がこのまま進むとどうなるかと言うコラムがどこかにあって、そこでは極論として確か
「そのうちに湯だって死んでしまうのでしょうが、それまでは、まるで蛙がそうなるまでと同じように、いつまでも平穏な暮らしを続けていて、気付いた頃には、完全に手遅れになっているでしょうね。」
みたいな、
まるで前世紀後半の諦めがてんこ盛りな末法思想をひきずっている、なんともまあ、いたずらっぽいことを言うんだ・・・ってか、どうして一夜にしてならないありえネーことを、そうやすやすと話せるのだ??
・・・などと、真夏の日照りに影響されて叫んでしまいたいことが述べられていたと記憶している。はっきりとは思い出せないが、1年か2年くらい前のことだった。
(僕じゃないよぉ!!)


SFでは、(これも安易にSFと言ってよいものかどうか・・・)
地球温暖化対策にはコロニー落とし
てな具合で、技術的には似たようなことが可能でも、道義的、倫理的に不可能なことを、いとも簡単に想像できる。

が、しかし、幾つもアイデアが出るのだろうけれど、それらが例えば、一万行あろうと十万行なかろうと、それらは検討や検証に取り掛かる以前の話なので、その中の一つしか採用されないか、或いは、よっぽど強固な動機がない限り、たぶん一つも採用されない。

ってか、そいつらだってたぶんほとんど一夜にしてならずごとなのだから、結局どれもこれも似たようなものジャン。

【妄想の刺客】
[PR]
by cicadas | 2005-08-18 02:03 | 感情論(徒然に

(長くなるので分けることにしました。)

平穏と感じていられるある領域の内部においてのみ決定的、確定的に、完璧に「平和だね」と言えるのかもしれない。

ゲームを進めている時、それは繋がっていて、ゲーム画面が常時コンソール(ディスプレイだね)に表示されている時、苦もあり楽もありが体験できる(重くとも軽くとも)体験し続けていられる。
     ふっ・・・なるほど幻想だな。     

そんな都合のいい環境なんて、ダビンチにだって作れなかったでしょうに・・・でもいつか、夢を持つ方が、叶えてくれるのかな。目には見えないが、きっと、そのようなことを画策している若者が、ひょっとしてここそこに多数いるのかもしれない。

いったんゲームから離れて、われに帰る(?)と、必ずと言っていいほどまたやりたいと感じるのは、その夢がなんとなくどこかに隠れていて、目には見えないけれど、直接ではないんだけど、なんとなく感じられるから・・・そんな気がするんだと言いたい。

ところが、一日でもそんな甘い領域に浸からないでいると、いやおうなしに社会の汚点みたいなことが、いちいち目に付く。一見平穏な日々、暮らしを続けている―個々にはそれでたぶん正しいと言えるのだろう。

しかし、現実にはこのあたりの解釈がチョットずれている気がしてならない。
そんな平和について考えてみるにはとてもいい季節かもしれない。
で、おおよそ以下のように感じているんだ。

【共生の解釈】
[PR]
by cicadas | 2005-08-18 01:45 | 感情論(徒然に