【ゲームの摂理】第8回「選択肢は常に2つある」

情報の最小構成要素は、「1」と「0」であると言います。
人間は複雑だとよく言われます(?)が、
その行動を分析して根底の根底まで突き詰めていくと、
結局は「1」か「0」かのどちらかになります。
数学では(注)、物質が空間に存在する確立は常に(1/2)と言われます。
考えるとすごいことです。あるときは、この世界が存在しないかもしれないことになるのだから。

空想や仮想世界はどうでしょう。
信じることができればそれはもしかしたら存在するかもしれない。
いや、べつに存在しなくたっていいし。

なので、思考の内にあっては、やはりそれらも(1/2)なんでしょう、たぶん。

私事ですんまそんこってすが、天空の城らぴゅたのロードショーを観た感想が、確かそんなだったかな(結構そんな印象がずーっと強く(今も)残っていて、そんなことがあってあらゆるロードショー観賞を封印してしまったのでした。)

映画館のスクリーン(「銀幕」と言う)は、実に特殊な構造で、座席が端っこでも、ずずーっと後ろでも、一番前(好きだったなぁ)でも、あわよくば立ち席(今はそんなのないのかな)でも、人の目の「ゆがみを補正する機能」を助けれるように、布(ちょいと粗めの糸のクロス)だったり、穿孔(または半球の突起)のほどこしたものだったり、つまりそれは完全平面ではなく、必ず決して、つるつるとしていません。

テレビ画像やモニターだって、ドットだったりしてますね。
1つのドットが明滅を繰り返して、その配列で、さまざまな表現がなされます。

ビデオなど、時間当たり均等な割合で、目にもとまらぬ速さで、パッパパッパとフレームを切り替えていたりすることから、フレームの見えているのと見えていないのとで、これもまた(1/2)ですか。

ある著名な映画監督が、そのフレームと次のフレームとの間にある「もの」を表現するのが映画の役割だと、確かずっと前に何かのテレビ番組でおっしゃいましたが、最近になって少し理解できるようになったかもしれません。
つまりそれは「1」と「0」両方を「観るものの内に映す」ということなのかな(違っていたらすんまそん)

え?
ええ、もちろんこれは前置きでして、「だからなに?なんなのよそれw」とかでいいんです。これを読んで伸るか反るかは、まさに読み手しだいでどっちにもなることです。
そう。
「どっちにもなる」

それはもしかしたら、かならず「どっちかになる」と「どっちもならない」であり、「いつも表裏の関係」なのだと言います。


注記:「数学では」のところについては、正確なところをYanさんが詳しくコメントしてくださいました。ありがとうございます。

さあ、言葉遊びはこれくらいにして本論に進みます。




・・
行動の二律背反は、実に明確です。

ログインすること、走ることや歩くこと、イベントリーや倉庫を開くこと、アイテムを購入すこと、狩に行くこと、戦闘すること、攻撃を回避すること、アイテムを拾うこと、言葉を発すること(もしくは台詞を吐く、チャットでは「発言すること」がしっくりいくかな)、挨拶をすること、ログオフすること、等等・・・

常に、それらは「する」か「しない」かのどちらかで、「どちらでもない」ことはありえません。

ところがこれに「プレーヤーの感情は?」と、横槍を入れるようにすると、チョッと思考が停止してしまうかも。
つまりこういうことです。
ログインしてからログオフするまでの間、プレーヤーの眼下には、前置きで述べたようなことがぐるぐると繰り広げられますが、はたして、すべてのフレームとフレームの間に、プレーヤーの表現するところが求められているでしょうか。

これは言ってみれば感覚論に過ぎないのですが、フレームにあったっていいですよね、いや、むしろそうなることのほうが圧倒的に多いと感じるでしょう。

人形劇を例にするとわかりやすいかも知れません。
つまり、ゲームは人形を操る人が同時に観客になっている。
そして、観客でいるあいだ中は、常にフレームの側にあるとした場合、フレームとフレームの間には、まったく何も存在しないことが起こっているかもしれないと言うことです。
これは実に奇妙で、また、興味深いと言います。

さて答えは・・・・あはは、それこそ
答えは(常に)あるかもしれないし、まったく答えなんかないのかもしれない
ですか。

でも・・・まあ、これだって、べつにどっちでもいいし、
そんなことは、実はたいした問題じゃないのかもしれない(・・・し、実はとっても重大な問題だったりするのかもしれない。)

(きりがないので、今回はここまで・・・orz)
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by cicadas | 2007-08-05 23:31 | 感情論(徒然に