嘘の無い世界

NHKBS2ではこともあろうに「あしたのジョー」をここ数日間かけてぶっとうしで放送している(BSアニメ夜話SPなんだそうですが)とは言っても、TVシリーズは全てではなかったし、節目節目でプレイバックと称して出演しているゲストの方たちのトーク交えての、飽きの来ないような進行でしたが、こちらは放送をぶっとうしで見続けていることはなかったです。

あしたのジョーの評価の多くに、力石の死のインパクトが強烈だったと言うのがあり、漫画連載の当時はお葬式まで遂行されたほどの社会現象となったと、しばしば持ち上げられるのですが、四半世紀たった今でもそれが(なにもその点だけではなく、総括すると力石とジョーの人生が)それを吸収した人の中で生き続けているのですから、考えれば考えるほど驚きです。

ただ、最近になって強く思うようになったことは、その場面は、単に死を描いたのではなく、生あってこその死であったのではないかと言うことです。

これもたまたま同じ局ですが、NHK総合TV連続ドラマで昨日「完」となった芋たこなんきんの1週間分が放送されました。これはもう最終回にお葬式で、わかりやすすぎるのでかえって拍子抜けしたくらいなんですが、やはりドラマとして描いたのは「ただただ、人生」であったのではないでしょうか。

では、これらの本当に描こうとしたものが、まさにそれだと仮定して、画面の前に居てそれらを見る人(現実)と、ドラマ(虚構)とのギャップは、いかほどのものがありましょうか。
もしもこの世界が、人々の感じとることができるもの全てが真実(つまりそれ以外の「嘘」がまったくない、作っちゃいけない)だとしたら、あるいはそうあらねばならないとしたら・・・なんとも味気ないものになってしまうのでしょうね。






・・でもそれは画面での話に過ぎないのだから、
作品などを見る側からの視点で一方的に考えているだけだから、
この行為だってほとんど味気ないじゃんかよっ!てなっちまいますか。

ではチョビッとドレッシングをかけてみましょうか。

このようなことも言えます。カメラワークや編集など創り手のこともほどほどに同時進行で感じ取れる場合。見る人の目にはそれらに深みが増し立体的になるということ。
更に、現実に、事件の現場に居てそれを目の前で見たとか、目撃した場合、災害などに直接遭遇した場合、そこに時間軸という次元がひとつ加わると言うこと。

このようなことが演出として、はたまた効果として採用されていることが、ゲームに幾つか見られます。アクション系での決定的シーンを拡大してプレイバック再生するなんてーのはその最たるものなんじゃないかな。


・・
ログインしりゃぁ虚構だ現実だなんて考えなくともお構いナッシングみたいな・・・・・・
・・・MMORPGの場面ではどうでしょう。

キャラクターを通して楽しんでいる戦闘やチャットなんかを総括して「イベント」とするならば、多くの場合それらの締めに「またよろー」なんてな挨拶がすこぶるオーソドックスなんですが、それがまさしくイベントの再現性を期待することなんだとしたら、プレーヤーは意識の有無、計算の有無にかかわらずそれを行っていることになります。

いやーなんとも興味深い。
[PR]
by cicadas | 2007-04-01 01:57 | 近況かもしれない