感情論(1)傷つけられるオブジェクト
2005年 07月 16日痛くなるバグ、それは実はプログラムを納品したら最期、「仕様です」と突っぱねるしかないのでしょうね開発側にとっては。
もっとも、戦闘をデザインして痛くならないことの方が(ゲームとして成り立たないことになるのだから)致命的な気がしなくもない。
そこでここでは、きつい、死にたくない、こんなのやってられるか等等、行き場のない感情をそれぞれオブジェクトとして捉えてみる。
すると、実にそれは行き場のないことが仕様であるために、それ自体がプロローグで述べたような自動的に自分の方に返ってくる状態になって、秒を重ねるごとに傷を負い、朽ち果て、そして消えてゆく。
僕ら人間はそんなオブジェクトを生産してはばら撒いている。自分の持っていた鬱憤が、さも重荷だったから破棄したのだと言いたげに。
無論、鬱憤をそのまま保って蓄積していたら、そのうち息が詰まってくる。それは理解できる。しかし、これをいかにして効率よく、そしてかっこよくきれいに処理できるのか考えてみようとしても、なかなか難しいんだな。
で、特段意識して処理しなくとも、たいして前後に変化がなかったり、振り返ると、なんだか無駄にもがいて、余計なエナジーを消費してしまって、ちょっぴり損した気分になったりもするんだ。
だが、いずれの場合においても、これだけは言える。僕らが意識しようとしまいと、そのオブジェクトは、自分の中から一回でも外に出されれば、いずれ時の流れとともに朽ち果てて、消えていってしまう。
多くの大人が未成年を蔑視するのは、その光景のようなことが、たぶんなんとなく「美しくない」と思っているからなんだろう。
して、どこまでもきちんと片付けたくて仕方がない、とにかく一刻も早くそれを処理したいがために、細かくちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返すのだろうか。
そんな風に考えると、寂しさ切なさなどとっくに通り越して、むしろしみじみとうれしくなったりもするんだ。だって、それって干草のベッドみたいにひとくくりにして、乗っかって弾んでいるような無邪気な光景を連想することが出来るような気がするから。
by cicadas
| 2005-07-16 02:38
| 感情論(徒然に